Y)昔、僕はおばあちゃん子で、
冬になると、よく二人でこたつに入って、
僕の好きなみかんの皮を剥いてくれた。
僕が、自分でみかんを食べるときは、
ざくざくと乱暴に皮を剥ぎ、
実にまとわりついたスジは気になる大きなものだけ、
ちょちょっと取って食べるんだけど、
おばあちゃんは、本当に時間をかけて、
どんな小さなスジもひとつ残さずきれいに取ってくれて
ハイお食べと手渡されるみかんは、なんだか毛を刈りたての羊のような、
本当の姿はこうなってんだ、
というくらいちょっと僕のみかん感とはちがった、
たたずまいすら感じさせた。
もちろん、みかんを何房か口に入れたとき歯に引っかかる、
あの不快なスジがないわけだからおばあちゃんは可愛い孫に、
心を込めて最高においしいみかんを食べさせてくれようとしていたんだと思う。
K) その話は奥さんから聞いたよ。
金沢の農家の長男だから、甘やかされて育ってるんで、
わがままで非常識で小霜さんもたいへんだと思うけど
よろしくお願いしますね、って。
Y) いやそういう話じゃない!デザインの話をしてるんだから。
K) えっこれデザインの話なの?
Y) そうだよ。黙って聞け。だいたいおれんちは農家でもないし。
それで、そのみかんだけど、じつは、これが僕はあまり好きじゃなかった。。。
生温かかったのだ。
長時間おばあちゃんの手の上でスジをむかれている間に
冬の金沢のこたつの上にあった、冷えたみかんが、人肌に温もっていた。
これは、口の中に入れたときのあの、冷たくて酸っぱい、
フレッシュなおいしさとは正反対のものだった。
で、僕はデザインということを考えるとき、
この二つのみかんのことをよく思い出す。
ものすごく、手間ひま懸けて完成度を磨いた生暖かいみかんと
乱雑だけど素早く剥かれた冷たいみかん。
現代においては、とくに広告におけるデザインには、
この冷たさ→鮮度感、スピード感、時代感がトレンドになっているように思う。
磨きに磨いて丁寧に完成度を高めたデザインは、
その時代感を失ってしまって人は、おいしいと思ってくれないから。
ただ、このスピード感を追求するあまり
ちょっと乱暴すぎるデザインが横行しているという感覚ももっている。
で、ここで僕が指向したいのはほどよくスジも取ってあるけど、
まだおいしく食べられる適度な冷たさが残っているという感じ。
この、絶妙の塩梅がわれわれのクリエイティブにはとても大切かなと。
K) 昔、吉田戦車の漫画で、みかんのスジをていねいにとるヤクザの話があったな。たしか、子分が「アニキそれはやめてください」って言うの。
Y) それはおかしい!
K) おかしい、おかしい。
Y) おれの話、ちゃんと聞いてた?
K) 聞いてた、聞いていましたとも。